1948年

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1948年(昭和23年)は学習院輔仁会音楽部創立27年である。



演奏会

部報

学習院輔仁会音楽部部報」学習院輔仁会『輔仁会雑誌』170号、1948年(昭和23年)6月5日発行、 pp.48-49

 終戰後、初めての輔仁會が昨年二月に四谷正堂に開かれた際、先輩の一部の者の動議に依り、また吾々の希望によつて下手乍らも輕音樂的なものを演奏したのである。 音樂部として輕音樂をしたのは恐らくこの時が最初の最後であらう。 この時をきつかけとして徐に吾々は活動を開始した。 同年の十一月初旬には先輩を交へず、現役學生ばかりの演奏會を催ほした。 管絃樂二十數名の練習は物すごいものであつた。ここ數年間全く無かつた輔仁會音樂部の演奏會は此の日再び皆樣の眼前に現はれたのである。 さうしてその翌年、卽ち今年の創立百年記念に際し、今度は萬全を準備を成し、先輩諸兄の御參加を仰ぎ、着々と練習は進められた。萩原英一氏を指揮者に御願ひして練習の度に來て頂いた。譜は宮内省樂部より拜借したり、部員が寫譜をしたりしてやつと調つたのである。百年祭とて内容を少し豐富にし過ぎた樣であるが、諸氏の御努力によつて音樂部に一段と光輝をそへられた事は云ふ迄もない更に常磐會女子部の諸姉御努力で以て混聲合唱が學習院に生まれた事は音樂部の歷史記錄的な一頁を飾ることになるであらう。
 最後に滅亡の途上にありし音樂部を斯の如くん盛立てゝ下さつた林部長、御熱心に管絃樂の御指導を給はつた萩原英一先生、御忙しいにもかゝはらず、母校の音樂部の爲に絶大の努力を御願ひした前田幸市郞氏、竝びに常磐會女子部の諸姉部員諸氏に當紙上より改めて御禮申し上げます、と同時に今後とも御援助を給はらん事を切に切に御願ひして此の報告を終る事と致します。

学習院輔仁会音楽部「部報」学習院輔仁会『輔仁会雑誌』171号、1948年(昭和23年)12月25日発行、 p.73

 戰爭により滅亡の途上にあつた音樂部が再活動を開始した前年度の後をうけて今年度入つては先づ五月に諏訪根自子孃を招き、井口秋子女史の伴奏によりヴァイオリン獨奏會を催した。豫想以上の盛會で聽衆が以外に多く席の無い方も出來た始末であつた。六月、四谷で開かれた文化大會には音樂部としては室内樂、合唱、提琴獨奏等をもつて參加した。室内樂には長過ぎたといふ評があつたが純粹な音樂會と斯樣な會に參加する場合との番組の選び方の相違についての參考となつた。その一週間後には春季演奏會を女子部と合同開催により行つた。此の時部員の作品を加へたのも合唱として初めての試みであつた。十月には男子部女子部合同主催で巖木マリ孃のヴァイオリン・リサイ・タルを野邊地瓜丸氏の伴奏で行つた。種々の行事が重なる爲もつと早く行ふ筈であつたが、ビクターとの交涉、會場の都合等で豫定通りに運ばなかつたのは已むを得ぬ事であつた。秋季演奏會は十一月に四谷正堂で開催した。指揮者には先輩前田幸市郞鎌田勇兩氏をお願ひした。春季演奏會に比べ内容を大分豐富にし過ぎた樣であつたが、先輩諸氏及、部員各位の御努力により音樂部史の一頁を飾る事が出來た。倂し運動會、斯く演奏家鑑賞會、バザー等に續いて行はれた爲、練習不足で演奏會に望まねばならなかつたのは遺憾であつた。猶、前項を對照〔ママ〕として行つた音樂調査の結果九月にレコード・コンサートを超滿員の盛況裡に目白部屋に於て開いた。今後も此樣な方面にも活動を續けてゆきたい。(白石記)