開校五十年記念学習院史

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開校五十年記念學習院史』(かいこうごじゅうねんきねんがくしゅういんし)とは、1928年昭和3年10月18日発行。の旧制学習院の沿革を記した書である。

音楽部についての記述

pp.327-329

設置以前の狀態
 輔仁會會員中の音樂同好者より成る、音樂練習を目的とする小團體は、古くより屡組織せられたれども、會員中の有力者卒業すると共に頓挫を來し、自然消滅して永續したるものなかりき。大正十二年度に至り、編纂部を文藝部と改稱し、音樂繪畫に開する事業をも併せ行ふ事となりたるは、右の如き事情の爲に、發達を遂ぐる事を得ざりし會員の音樂團體に、保護を加ふると共に、一般會員の音樂に關する趣味の普及と、知識の振興とを計ら んとするものたりしは勿論なり。其の後多數會員の要求を容れて、大正十三年四月に至りて、始めて獨立の一部 として、音樂部の新設を見たるが、爾來各種の事業を行ふと共に、其の設備の充實を計り、以て漸く發達の緒に就く事を得たり。

設置以後の狀況

 音樂部新設以來の狀況を略述すれば、新設の年に行ひたる行事の主要なるものは、洋琴家バルダス氏を招聘して、公開演奏會を開催したる事にして、當日の聽衆四百名に達し、極めて盛大に行はれたり。翌十四年には各種の計畫を立てゝ、彌本部の活動を開始するに至りたり。卽ち五月五日には、音樂に開する知識の普及に資せんが爲に、第一回レコードコンサートを催し、同月二十三日には提琴家ビルウスキー氏並に洋琴家ヂョンゲン氏の公開演奏會を行ひ、次いで六月十三日には、故三條實憲氏追悼一音樂會を行ひたり。此の日に久邇宮邦英王久邇宮邦英王殿下並に李鍝公殿下も出演せられたり。かくて此の年度に本部の設備も漸く成り、蓄音機・ピアノ・ヴアイオリン・ヴヰオラ・セロ其の他の管樂器二三を購人し、茲に始めて組織的なる練習を行ふべき機關の備はるを見たり。大正十五年二月には客員岩井貞麿の斡旋によりて、陸軍戸山學校軍樂隊の演奏行軍の目的地を本院校庭とする事とし、五十名より成る軍樂隊と、二十人より成る喇叭隊との吹奏数曲を聽く事を得、翌三月二十四日には、有志者三十名戸山學校に赴きて練習の見學をなしたり。次いで五月十八日には、第二回レコードコンサートを催し、また十月二十四日には、本院出身の提琴家福井巖の演奏會を行ひ、秋季輔仁會大會當日には、始めて本部員の演奏を公開して好評を博したり。音楽部員の指導には、初め助教授小松耕輔、部長として共の任に當りしが、管絃樂の練習を開始するに至りて、星出陸軍戸山學校樂長補の指導を受け、更に昭和二年六月に至りて、瀬戸口幸吉を指導嘱託として聘し、目下専ら其の指導の下に練習しつゝあり。

出典

学習院『開校五十年記念学習院史』秀英舎、1928年昭和3年)。NDLJP:1464150