「学習院輔仁会音楽部混声合唱団」の版間の差分

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(演奏活動)
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== 演奏活動 ==
 
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ここ数年の演奏活動について説明する。どのような演奏会を行うかは各年度毎に決めるものであるため、必ずしも下記の通りではないことに注意。
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ここ数年の演奏活動について説明する。どのような演奏会を行うかは各年度毎に決めるものであるため、必ずしも下記の通りではないことに注意。<br>
 
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2017年11月15日 (水) 12:01時点における最新版

学習院輔仁会音楽部混声合唱団は学習院大学の合唱団である。

概要

学習院輔仁会音楽部混声合唱団は独立した合唱団であると同時に学習院輔仁会音楽部(以下、音楽部)のをコーラスを担当するセクションである。7月頃に行う合唱団定期演奏会および11月頃に行われる音楽部定期演奏会の2公演を主軸に、学内・学外での演奏活動を行っている。

歴史

旧制学習院時代

戦前の演奏会においては、合奏だけでなく各弦楽器の独奏、ピアノ独奏、独唱が行われていた。しかしながら主な演奏は管弦楽であった。
音楽部は瀬戸口藤吉棚池慶助といった当時一流の音楽家の指導のもと盛んに活動していたが、戦局の悪化に伴い音楽部を含め学習院の部活動は休止状態となった。敗戦後も部活動の休止は続いたが、学習院は創立百一年祭を行った頃から音楽部は徐々に活動を再開していく。学習院大学が設置させる前の1947年昭和22年)に中等科・高等科と女子高等科の生徒が混声合唱団を結成した。その際に合唱団の指揮者として招聘したのが、学習院の卒業生である前田幸市郞である。[1]
新制大学である学習院大学が設置されるまで、この体制が続いた。

大学設置以降

1949年昭和24年)に学習院大学が発足し、その翌年には女子短期大学が発足した。音楽部は大学支部・高等科支部・女子高等科支部・女子短期大学支部の4つで構成される団体となった。[2]当時の音楽部は高校生と大学生がともに活動しており、合唱団は高校生と大学生の団員がいた。学習院に通う子女といえども、家を焼け出され家財を失ってしまった者は少なくなかった。また空襲により多くの楽譜や楽器が焼失してしまったこともあり、楽器の入手やその維持は困難であった。そのようなことが影響したのか、管弦楽団の団員はなかなか増加しなかった。一方合唱団に関しては非常に多くの部員を確保することができた。
合唱団の人数が増加したことに伴い混声合唱団のメンバーから男声合唱や女声合唱を行う者も現れた。1952年昭和27年)の 大学祭男声合唱団が初ステージを行い、1954年昭和29年)の大学祭大学女声合唱団が初演奏をした。なお、短大女声合唱団に関しては、女子短大設置当初から独自の活動を行っていた。
十分な人数を確保できた混声合唱団は1952年(昭和27年)12月27日(土)に日比谷公会堂で 前田幸市郞が指導していた鎌倉合唱団、学習院OBで日本を代表する指揮者であった近衛秀麿の近衛管弦楽団とハイドンオラトリオ「四季」を演奏した。初めての一般向け演奏会であった。 その後10年以上にわたり音楽部OBが設立した東京合唱団との共演等で対外演奏を続ける。混声合唱団の定期公演は音楽部の合同演奏会が行われた後にもしばらく続いた。

常任指揮者

現在、混声合唱団および大学男声合唱団は阿部 純氏を常任指揮者としている。

構成員

音楽部員であれば混声合唱団に所属することができる。過去には混声合唱団、もしくは部内の他合唱団と管弦楽団を兼団する者もいた。現在の混声合唱団には兼団原則がある。例えば、学習院大学に在籍する女性合唱団員は大学女声合唱団と混声合唱団に所属しなければならない。混声合唱団のみに所属し単声合唱団に所属しない者は多いと、単声合唱団の運営に支障がでるために講じた策である。昭和20年代後半から30年代にかけては高等科、短大、大学合わせて300名以上の団員を有していたとされるが、現在は45~80名程である。

演奏活動

ここ数年の演奏活動について説明する。どのような演奏会を行うかは各年度毎に決めるものであるため、必ずしも下記の通りではないことに注意。

4月   入学式
4月   オール学習院(参加は年度毎に任意)
7月頃  合唱団定期演奏会
11月上旬 大学祭「めぞふぉる亭」での演奏
11月頃  音楽部定期演奏会
3月頃  卒業演奏会(参加は年度毎に任意)
3月   卒業式

過去の演奏活動

脚注

  1. 学習院輔仁会音楽部『学習院輔仁会音楽部五十年史』1973年昭和48年)、pp.101-102
  2. 同上