1952年

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1952年(昭和27年)は学習院輔仁会音楽部創立31年である。

演奏会

部報

学習院輔仁会音楽部部報」学習院輔仁会『輔仁会雑誌』173号、1952年(昭和27年)2月1日発行、 p.75

 

音樂部
短大
 創立以來一年の月日が流れ、去年十二月に 有坂先生に部長をお願いし御承知いたゞき、四月から規模を大きくしレコードコンサートを計畫レたが、これは蓄音器の都合上保留した。その上にも女聲コーラス、ピアノ、チェロ、ヴアイオリン等も不備で、多くの支障は あつたが、部長先生はじめ、鹿野、木俣一兩先生に御指導いたゞいて來た。 六月に行われた第二回音樂講座に引きつゞき第二回音樂講座(中世音樂)は規畫中であつたがーまず保留することになつた。しかし部員からの希望もあり、近日中に土曜コンサートの見學、又レコードコンサートを行う予定である。けれど部農數も少くコーラスなど行うのに無理な點もあり、音樂部擴張のため部員を募集中である。 最後に先生方及び部員各位の御協力を謝し又多くの音樂フアンの皆樣方の御畫力を乞いつゝペンを置かしていただく。

女子高等科
 現在の女子部音業部の活動は、男子部の大學、及び高等科との合同混聲コーラスと、中等科の女聲コーラスである。 混聲コーラスは 今年四月より、短期大學々生、並びに高等科一年生を迎え、ハンドンのヤーレスツアイテンを練習している。又、中等科のコーラスは今迄、足立先生の御指導の許、週一回行われていたが、最近、足立先生御多忙の爲、現在では、毛利先生の御指導を仰ぎ、練習を行つている。高等科にも、混聲の他に、女聲コーラスをしたい希望もあつた樣だが、人數もそろわず、又、先生の開係上、その他から、今だに實現出來ずにいる事を殘念に思つている。 女子部予算からは、指揮棒、普面台を購入し、さつそく、卒業生を送る送別會の時にも 各學年使用出來、少しでも有効に使えた事に滿足している。

 最後に、音樂を心から愛し、理解する方々の少しでも多くが、この長い傳統と歴史をもつ學習院輔仁會音樂部に入られ、共に音樂をたのしみ、喜びをわかち合う事を希み、且つ中等科音業部の、よりよき進歩と、向上を願つて止まない。



学習院輔仁会音楽部部報」学習院輔仁会『輔仁会雑誌』174号、1952年(昭和27年)12月20日発行、 pp.212-214

 

音樂部
 終戦以来発展の一途を跡つて来た吾音楽部は今迄のオーケストラ、混声合唱に加へて男声合唱にブラスバンドを新しく創設して内容のの充実と技術の向上を目指し加へるに戦災以来持ち得なかつた部室も新築されて部員一同はりきつて練習にはげんで居る。

一、オーケストラ
毎年の文化祭に於て最大の入気番組のーつであり且華やかに徹尾を飾るオーケストラは今年も春に曲目をベエトーベン「エグモント序曲」ハイドン「軍隊交響曲」と決定してひたにすら練習に専念してその成果を十一月一三日文化祭の最後に先輩前田幸市郎氏のタクトにより演奏し多大の好評を博した。
 吾がオーケストラの他の活動団体と違つた特色は現役部員を中心にしてそれに先輩諸兄が参加され共にバイオリンを弾かれラツパを吹かれるといふ先輩現役の密接なつながりをもち独得な雰囲気を有して居る事である。
 その為練習に於ても親子そろつてパートを分担されるといふ様なほゝえまましい風景もみられるのである。しかしながら一方こゝニ。三年多くの優秀な卒業生を出し、加へるに戦争プランクが今になりあらはれる結果となり質的低下もまぬかれず今や新しい部員の養威が大きな課題となり文化祭以後は主とし て、これ等を対象に冬よりにかけて基本的合奏の練習を加へて行く事になり目下準備中である。

二、混聲合唱
 四月一挙に百五十名を突破した混声合唱は現在百名に減少したが、依然その活動は隆盛の一途を辿ってゐる。 を目指し加へるに戦災以 現在の目標は、来る十二月廿七日の旦比谷進出にある。即ち本院の先輩として将来を期待される指揮者前田幸市郞氏のタクトの元に、同氏のの創立にかかる鎌倉合唱団との合同演奏会を日比谷公会堂で開く事に決したのである。四月以来、演奏曲目たるたるハイドン作曲聖譚曲「四季」の練習は、今最後の仕上げに入らんとしてゐる。
 其間、かかる大曲完成に於いて、全く白紙に等しかつた我々の努カは、実に目覚しいものがあつた。楽しかるるべき夏期休暇の大半を犠牲にしての猛練習は、学生のみならず、安倍院長すら夙に注目されたと伝え聞く。 かかる猛練習にも拘らず、部員、特に年少の高等科及び女子部生徒の精進の目覚しさは、特に称讃に価するであろう。叉この強行軍に対して、少しの批難も反対も唱えられぬ年少部員の父兄に対する我々の感謝も又大なるものがある。  かかる巨大な目標は、伝統二十有余念を称する音楽部に未だかつて立てられた事はなかつた。然も音楽の槍舞台たる日比谷のステーヂに立つは、音楽部としては勿論、学習院文化部としても恐らく始めての事であろう。伝統の譽高き学習院の名を天下に示す絶好の機会である事は云うまでもないが、同時にその貢任の重大なるを感じて我々の決意自ら新なるものがある。更に又先輩たる新進音楽家前田幸市郞氏の音楽家としての運命を決するであらう此度の演一奏会を考える時、敬愛する先輩の、成功を願う後輩の一員として、あらゆる努カを傾けねばならぬ責任の重大さをもひしひしと感じるのである。然も此度の壯挙につき、全学を揚げての御声援を得て、我々の意気は更に振い立つであろう。。幸いに諸先輩及び諸兄姉の御期待の万分のーにでも答える事が出来たならば、独り音楽部のみならず、全学習院のために慶ぶべき事だと信じて疑わない。そして、我々の行つて来た努カ、即ち春夏秋冬を通じての努カを象徴する「四季」の名は、今後も音楽部の活動を象徴するに最も適したものとならうし、又、学習院のたくましい 前進を表現する絶好なシンポルとなるであろう事ををここに附記し、以つて愛する学習院の名の元に全能力を傾ける事を御約束するものである。

三、男聲合唱
 以前より何度となく試みられながら、成功の域に達する事の出来なかつた男声合唱は、 遂に本年四月熱心なメンバーによつて正式に発足、既に二回の発表を行つて今日に到つてゐる。男声合唱は混声合唱の大曲主義に反して小曲主義をとり、専ら一気分に応じた楽しい曲を練習する事を以つてその目的としてゐる。未だ発足して日浅く、幾多の蓮営上の問題が山積し、更に技術的にも多くの難点を免れないが、それでも尚部員為のの楽しい集いたるのを目的を達し得て充分である。

四、ブラスバンド
 戦事中迄は一菅楽部中一番活動して居たブラスは、戦災による楽器楽譜の焼失等により、 現在迄再建されずに来たが、今年秋に致り部員その他の同好者により発足した。いまだ人員も不充分であり、発足後間もないのでその活動は思ふにまかせないが、あせらずにその活動をはかる様に目標を立て、最初は小品を主に週一回の練習を予定して居り、来年に出来れば是非発表演奏をやりたいものと部員一同はりきつて居る。

部報
 昨年までは、ほとんど文化祭に行はれる音楽会のみが音楽部の目的であり、その為あまり大曲にかゝれず、小品が主であつた。
 しかし今年度に入り、音楽部の運動は急に活潑となり、この冬にはハイドンの「四季」 全曲を発表出来るまでになつたのである。勿論学習院の合唱団では人数が足りないので、 やはり前田幸市郞先生が指揮をしていられる鎌倉合暖団と合併しなければならない。 けれど、ほとんどが学生で編成されている学習院合唱団がこの様な大曲を発表するのは始めてゞあるから、多いに期待されるであろう。幸に日比谷公会堂との交渉もうまく行つた様であるから、十一月二十七日には、予定通り演奏会を開くことが出来ると思う。現在は、一週間に三回定期練習日の他に、当日まで鎌倉と目白の両方で出来るだけの練習をしている。今年の夏休みで相当曲らしくなつて来たが、未だ未だ練習を重ねなければ完成することは出来ない。

 しかし、先輩の非常な努力によつて、部員一同もはり切って目的に向かいつゝある。間もない演奏会が成功する様に最後まで努力して行きたい。(山田記)